上手く生きられない人のコンテンツってウケるでしょ?
執筆者:𝙆𝙐.𝙅𝙄.𝙍𝘼 (@p001_POOL) on Twitter
こんにちは。くじらです。
今日は、生活がうまくいかない私が「自分の営めなさ」をコンテンツ化しちゃう理由と、そのヤバさについて書いていきます。
言語化できないつらさと戦う「生活苦手パーソン」とお話ができたらな、と思います。
自分の出来なさをコンテンツ化しなかったときの話
生活がとにかく上手くいかない。どうしたら上手くいくのか分からない。という人は少なくはないと思います。一旦、「生活」を「毎日訪れる身体の操作と、その結果」だと定義します。
先日私は、大事なセミナー登壇の直前に、水の入ったカップを持ってそのまま落としてしまいました。なんでそんなことをしたのか分からないそこのあなた!本当に、そう。わかんね〜〜。
私の頭には、「社内チャットでこの惨状を共有して、1ウケ狙っちゃおうかしら」という目論見が、悲しむ前に浮かびました。でも結局私は、誰にも言わず、濡れた床に急いでタオルをかけて、セミナーの準備に戻りました。
そのとき私は、「安心」と「絶望感」がちょうど半々の、クソ感情カクテルを揺らしていました。
生活をやっていけないからコンテンツ化しちゃう
なぜその時私はクソ感情カクテルを作っちゃったのでしょうか。すでに私は「自分は生活が苦手だ」という事実を痛いほど感じまくっています。もう25歳だもんね。
「生活を上手く営めなかった」とき、1番手っ取り早い自分の救済策は、「コンテンツ化」かな、と思います。
例えば
「コンテンツ化し〜ちゃお💖テーブルと自分の位置関係が分からなくてコップ割りました。」
と開き直ってしまう。そうすることで、私は「やっちまいました、ダメな人ですね、テヘヘ」と「堂々と言える」ようになります。こうやって社会に溶け込んで、なんとかこれでもやっているんだよ、というポーズを、自分の生活に取らせます。
インターネットでは、ダメな生活はバズりがちです。パンを焼いたらウンチみたいになっちゃった画像とか、フェルト人形を作ったら地獄みたいになった話とか、ウケます。面白いからね。
でも、そうすることで「出来なかった肉体」を置いて行ってしまうんです。
「生活をやっていけない」つらさは残り続ける
自分の「生活のやっていけなさ」に対する気持ちのつらさは、コンテンツ化で一時的に解消されます。「分かってるんです、自分がやばいことくらい」って顔して開き直っちゃえば、「ダメな人間」としてでも、いちおう社会の中に枠が用意されます。
でもこうやって、なんとかコンテンツ化して気持ちを救済したとしても、「本当に生活ができなかった私」、つまり「操作がおぼつかなかった」肉体は絶対に残り続けちゃうんです。
デヘヘヘ、すみませんねぇ…とヘラヘラするコンテンツ(あるいは必要以上に悲劇的なコンテンツ)のことを、「そんなんじゃないよ、本当なのに」と、身体側は、泥にまみれながら睨んでいる。「冗談じゃない!」と泣き叫ぼうとしている。
「生活ができない、このままずっと厳しい」と泥の中に取り残された身体は、一生懸命「普通」に生きようとする気持ちに置いていかれてしまいます。
こんな経緯で「安心」と「絶望感」のクソ感情カクテルが出来上がっちゃうんです。
「なんとかやっていく」という素晴らしいスローガンもまた危険
コンテンツ化は便利です。でもコンテンツ化は着脱可能な装備にとどめておかないと、いつか呪いの装備になって「え〜ん防御力上がったけど一生毒状態じゃん外せないし」と私たちを泣かせてきます。
生活が苦手で身体の操作に慣れない私たちは、それでも「なんとかやっていく」しかないです。
とはいっても、この「なんとかやっていく」ことは非常にしんどいです。「なんとかやっていく」を肉付けしていくと、いずれは「社会の中で枠を保ちながらなんとか生活していく」というスローガンになります。このスローガンのもとでは、生活のバグをひとまず無視してやっていくことになってしまいます。
「なんとかやっていく」は、とてつもなく倫理的で社会的な状態です。「コップを割っちゃうけど、毎日飲むべき薬を飲めないけど、それでもなんとかやっていけ」と、上手に生活できない身体に無理強いしてしまいます。めっちゃ無理。
私たちの生活は、間違い続けながら進んでいる
だから、私たちの生活って、そのまま受け入れるしかないんですよね。何の色もつけずに、脚色ゼロの生活を受け入れる。ダメな生活って美談にも悲劇にも簡単に変わります。でも本来、生活はとてもニュートラルです。ニュートラルかつ、あらゆる間違いを抱えています。
この世界は常に不具合を抱えたまま動く機械だ、と私が信頼する人間が言っていました。その通りだと思います。多分生活は、「ダメだけどやっていく」とも表現するべきではないんです。間違えながら、やらかしながら、続いているんだと思います。
つらくて泣いちゃうとき
「コンテンツ化」という、一時的に効く薬を打って頑張ってる人たちが多分たくさんいます。そのかわり普通にダメすぎる身体操作が浮き彫りになって引き裂かれることもあると思います。
私たちは、できるだけコンテンツ化を避けて、自分の生活を、価値で捉えるのではなく、ただ横たわっている事実として受け入れていくことで、少しずつ大丈夫になっていけると思っています。
「あなたはダメじゃない!美しい!あなたにも良いところがある」なんて、そんな別のモルヒネを投与されても気にしないでくださいね。ダメとか美しいとか、そんなものの前に、まずは濡れちゃった床を拭いたタオルが眼前にあるので、それを洗濯機に入れてみるしかない。それは悲劇でもウケるネタでもない、ただの無味無臭な「生活」です。
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